Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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Ns

N国党を巡る私の友人Tとの対話

※以下の対話は、T氏との私信をT氏の許諾を受けて公開しているため、T氏は本来は公開前提として話してはいない。

T:N国党の打つ手が読めない。つまりこの政党は私の盲点での活動を行っている。私の盲点を教えてくれる存在です。 https://mainichi.jp/articles/20190810/k00/00m/010/196000c
どうでもいい話ですが、上杉隆氏って隠れキリシタンなんですね。

私:あれキリシタンの一派なんですか? ツイッターアカウントで「本山派修験宗僧侶(聖護院門跡徒弟)」となっていますが。
N国党の戦略は立花氏個人だけからではわかりませんね。アドバイスしている黒幕は?

T:上杉氏は隠れキリシタンですよ。https://e-saikaku.co.jp/talk/post-18370/

私:彼自身が隠れキリシタンかどうかはまだ断定できないと思いますが、それはそれとしてだとするとそれがN国党の打つ手が読めないということにどうつながるのですか?
政界裏話に詳しいのであれば立花氏個人の戦略にとって利用価値があるとは思いますが。

T:上のインタビューで実家の墓が隠れキリシタンと言っている。あと「どうつながるか」ですが、つながるかどうかもわからないので「どうでもいい話ですが」と枕に書きました。

私:それは証拠にならないですね。
上杉氏自身に関しては。

T:それほど彼は「個人」ではないと思います。さて、黒幕は浜田聡氏と言われているようですが、そうだとして、または別にいるとして、どちらにせよ私にとって「盲点」なのでわかりません。

私:そもそも隠れてないし。
というか隠してないし隠す必要がないのでは?

T:いや、「隠れキリシタン」という隠れていない宗教の一派のことを言ってます。

私:ですからそれが彼自身の政治的信条と何の関係が?
その関係性を隠ぺいする必要があるの?

T:関係があるるかどうかもわからないので「どうでもいい話ですが」と枕に書きました。

私:浜田氏は「黒幕」にはならないでしょう。その背後の人物でないと。
この段階ですでに表に出ているのでは。

T:関係性なんてないんじゃないですか。と思う思考回路が盲点としている可能性は排除しませんが、関係性なんてないんじゃないかと私は思っています。

私:上杉氏の背後関係は詳しくないですが。

T:背後関係とかそういう分析を私もしようとしてしまうのですが、それゆえに盲点なのかなと薄々思っている自分がいます。そういう思考回路の外にN国党がいるんじゃないかなと。そうでなければ、N国党の打つ手の法則が読めているはずだしね。問題のある人物を集めているという発想で、渡辺喜美がつれるとは思わないんで。

私:渡辺喜美随分評価してますね。
ナチスには立派な背後関係がありましたよ。
途轍もなく立派な。
しかし第一ステージにおいては単に問題のある人物の集まりとして現象していました。

T:そうではなくて、丸山と渡辺と上杉の共通点が従来の分析手法では出てこないんじゃないかと思っているから興味深いのです。ナチスとの対比は結果論なので、勢いを止めるのに役には立ちません。規範的に批判しても無力だからです。だからこそマーケティングの専門家が注目しているのも分かります。https://diamond.jp/articles/-/211280
直感ですが、量子マーケティングを使っているような気がする。http://noriyasu-katano.hatenablog.com/entry/2015/…/26/081224
ただの直感ですがね。

私:誰が使っている?

T:N国党が。
もしくは永澤さんの表現を借りるなら、量子マーケティングを援用した戦略をN国党に提供している黒幕がいる。
量子マーケティングを選挙に使えるかの実証実験が始まっている?
もちろんただの直感ですが。

私:私の結論と同じじゃないですかそれ。
それを最初から私が言ってるのですよ。
だから浜田じゃない。
可能性の一つは(半ばジョークですが)JPモルガンチェイスとか。

T:「永澤さんの表現を借りれば」ですから。私にとっては「盲点」なので、まだN国党を語る自分の言葉がありません。あえて、今の私の言葉で語るとすれば以下になります。要は、これまで自民は投票者をマーケティングの対象にしていたでしょう。N国党は仲間集めをマーケティングの対象にしているように見える。議員をメディアとして位置づけている。これは、ポスト広告代理店マーケティングの先端思考で、マーケティング屋からはすげーことやってるなに見えます。

私:ないしその類と日本政界を媒介する誰か

T:いや、このマーケティング手法に通じているのは流通屋もしくは一部のメーカーですよ。金融屋にそのノウハウは無いでしょう。

私:その辺の旧来の境界は融合していると思っています。
すでにここ十年程の流れで。

T:いやそれはないな。

私:つまり個人またはそのネットワークで動いているのでは。

T:融合ではなく、「金融屋+代理店」からのパワーシフトが政治でも顕在化しつつあるのでは。

私:融合とは旧来の境界またはドメインからのパワーシフトといってもいい。

T:ただ、新しすぎるんですよ。普通はGAFA的なものを経由するでしょう。気づいているといっても流通屋や一部のメーカーは現実にはGAFAを追いかけている状況ですから。
なのでわからんのですよ。わかったら「盲点」ではなくなるはずなんですが。

私:金融屋というよりフィンテック業界というかなり流動的なドメイン。「仲間集めをマーケティングの対象にしている」をもっと精密に語ってくれないと何ともいえません。議員はもともとメディアです。
丸山と渡辺と上杉の連結が量子マーケティングの回答?

T:これをマーケティング専門家以外に伝えるのは難しいです。難しいというのは、準備などに脳の稼働時間がかかる(座談で済まない。仕事と同様のエネルギーを割く必要がある)ということです。申し訳ないです。

私:ではまたの機会に。「丸山と渡辺と上杉の連結が量子マーケティングの回答」と言っているように見えたのですが。

T:「丸山と渡辺と上杉の連結が量子マーケティングの回答」というような結論を今の量子マーケティングは出さないんじゃないか。量子マーケティングの結論を解釈して具体事例として「丸山と渡辺と上杉」を出したとかは言えるかもしれませんが。無所属の議員なんて数が少ないから、具体例まで飛ぶのは簡単だし。
だから実証実験として好適。

私:その結論だとダサいといいたかったのです。数学的方法論的には可能だと思いますが。

T:ダサいのは「丸山と渡辺と上杉の連結」ってことですよね。だとすれば、そのダサさは無所属の議員の数の少なさに起因するので、ダサいことに意味がなくなります。実証実験だから。

私:解釈レベルでダサいということです。人材不足なので結論の活かしようがなかった。
ただまだ大衆の反応を見るのはこれからなので成功失敗を言ってはいませんが。

T:「人材不足なので結論の活かしようがなかった。」ゆえに「解釈レベルでダサい」ことになったとしてそのダサさはダサさとして測られるべきではないかと(そうでないと従来のマーケティング解釈になってしまう)。ま、次の衆院選でN国党が躍進しなければ、実証実験説は棄却、もしくは衆院選で別の実証をやったということになるでしょう。
先ほど引用したダイヤモンドの記事で、「N国党の連携戦略は、今現在はその方法論を模索している最中だと思われますが、試行錯誤の末、次の衆議院議員選挙までにそのモデルが確立できたとしたら」と書いているくらいですから鈴木氏は永澤さんのいう黒幕の見当がついているのかもしれませんね。
それと2番目は引用先間違いでした。「量子力学がおもしろすぎる」ではなくてこちらを貼るべきでした。ただ、この記事はちょい古い。この段階ではフィンテック業界と未分化の流通屋や一部メーカーは今は別の道を行っています。 https://news.livedoor.com/article/detail/9576541/

私:おそらくTさんのイメージする意味での議員のメディア化戦略は今回れいわ新選組山本太郎氏がかなり成功させていますね。

T:私が見ているところでは、N国党は議員をメディアとして扱っているので「議員のメディア化」戦略という観点はありませんでした。れいわの候補者はコンテンツですから、N国党のスタンスとは真逆だと見ています。衆院選では両党ともわかりませんが。
N国党の候補者と、政党となってからの構成者との間に連続性が無く、しかしながら両者に明確な戦略の違いが見て取れる。N国党の候補者はコンテンツだった、だから泡沫政党だと思っていたのに、政党となってから選挙前と戦略に切断を入れた。マーケティング的に注目しているのは、政党後メンバーのチョイスです。一方、れいわは連続している。マーケティング的には新しいところはない。そりゃそうです。れいわはコンテンツで勝負しようとしているある意味まっとうな政党なのだから。
コンテンツというのは、メディアが取り上げやすい人材という意味です。中身とか見た目とか発言とか経歴とか。
メディアは色がついていても中身はない。中身がないから載せるもの(=コンテンツ)が必要です。
自民の議員なんかはメディアに乗りやすいコンテンツになろうとして(永澤さんの言う「議員のメディア化戦略」、僕の言葉では「議員のメディア露出戦略」)、中身がない場合はパフォーマンスしたり(三原)、経歴重視だったり(スピード今井)してきたわけです。
ところがN国党のチョイスした連中は、中身がないのに取り上げられやすいコンテンツとなることを目指しているようには見えない。ここに注目しました。
ある意味「オワコン」な人たち。そんな人たちを再定義(どう定義したのかわからないので「盲点」と書きました)したところが、マーケティング的にN国党の凄いところだと思っています。
この「再定義」をマーケティングの文脈でみると、「メディア」なのですね。
ここ、わかりにくいと思います。社会学とかの「メディア」の定義じゃないので。
ビジネスのマーケティングのしのぎをけずる現場の定義での「メディア」ですので。

私:衆院選も含めてみる必要がありますが、以下の点は見方が違います。
「一方、れいわは連続している。マーケティング的には新しいところはない。そりゃそうです。れいわはコンテンツで勝負しようとしているある意味まっとうな政党なのだから。 コンテンツというのは、メディアが取り上げやすい人材という意味です。中身とか見た目とか発言とか経歴とか」 
切断あるいは非連続性は量子的飛躍ということですから、量子マーケティングには親和的でしょう。
自民と同じ従来型だったのは立憲です。私はツイートでれいわと山本氏のアカウントにそれだとだめですよねといった趣旨のツイートをしています。むろん彼ら彼女たちもとっくにわかってますよねという趣旨で。
実際れいわ山本陣営は自民立憲の従来型を脱構築しました。その後。
一方従来型と非従来型の二文法のフレームワークに固執しすぎるのも危険です。もう一歩深く考える必要があると思いますよ。
私もですが。

T:そうなんですよ。それで「盲点」なんです。素直に分析が追いついていないところを認めています。
自民立憲が同じ穴のムジナなのはその通りで、枝野党首は方法論意外に安倍首相と差が無いことを自ら述べています。https://news.goo.ne.jp/…/d…/politics/dot-2019080600038.html…
れいわは自民立憲とは違うという見方もわかります。ただ、コンテンツを本来政治家が問うべき中身で勝負をかけ、SNSなどのメディアや、路上ライブなどで攻勢をかけたスタイルは、呼び方は「脱構築」でもいいし進化型でもいいし、従来の延長線上にある、社会の現状にあっている(自民立憲がやや遅れているだけ)。だから、れいわは知識人に応援されるし、待ってましたみたいな期待がある。

私:私が言いたいのは従来型から次のステージへと民衆へと訴求しながら移行するためには絶対に避けては通れないそしてこの国の戦後政治では概ね六十年代以来一貫して回避されてきた経路が存在しれいわ新選組山本太郎氏がそこを突破したのは歴史的論理的必然性があるということです。

T:N国はそうではない。量子マーケティングを実際に利用しているかはわかりませんが、量子マーケティングにインスピレーションを得た奇特な才能を持った人間が裏にいるだろうことはありえると思っています。私は自分の盲点は不愉快なのでN国に注目しているのです。れいわに「歴史的論理的必然性がある」ことはその通りだと思いますので、つまり理解可能なので盲点ではないという点で自民立憲と同じ土俵で見ています。

私:そういったコメントが来るのは百パー予測していました。N国党はいわば(当然意識化される、あるいは予測され得る次元全般の)飛ばし屋なのですよ。

T:飛ばし屋?

私:「意識化:主体化」という「プロセス全体における途中の経路」をすっ飛ばす。

T:私が実証実験と書いたのと同じ意味ですか?

私:しかも常にです。
これを波動方程式非局所化モデルの計算上でやっているのなら言い方は量子マーケティングでも何でもいいですが、とにかく常に(通常)本質的だと意識化され得る経路を一種の「(通常の人間という主体にとっての)無意識=ブラックボックス」において戦略的にすっ飛ばすという選択がある。立花氏はこれまでNHKとの戦いの初期段階からこれまで無意識にそれを実践してきたのですからやはり彼はN国党の戦略的マップにおけるコアです。

※参照
2018年04月24日 07:48:13
永澤 護 アーカイブ archives@dharmazeroalpha
メモ:「 #量子力学 のルールによれば、自然界で起こっている粒子崩壊は、描きうる有効な #ファインマン・ダイアグラム すべての効果によるもので、ただしそれらのうち最も単純明快なものが最大の重みを持っている。」(G.ウィルキンソン)

2018年04月24日 07:57:11
永澤 護 アーカイブ archives@dharmazeroalpha
#量子力学 「これら崩壊経路のすべての可能性が利いているはずであり、粒子の崩壊速度や崩壊産物の飛跡その他の事項を予測する計算にそれらを組み入れる必要がある。標識モデルの既知の粒子だけを含む通常の崩壊過程でも、その粒子はそこに存在しうるすべての粒子の影響を感じているのだ。」(同)

T:もっとも、量子マーケティングなんてたいそうな仕掛けなどなく、はぐれオオカミに手当たり次第声かけたらつながったのが丸山氏渡辺氏上杉氏だっただけで、既存政党は議員をコンテンツとして見ているので、はぐれている人たちはコンテンツとして優良ではなく、しかしながらメディアとして優れていたために、N国党が凄い戦略のもとやっているかのように見えたというオチは当然ながらあるのですが。ただ、その場合でも立花党首のあのルックスは雄弁に思えます。あのルックスを見た後だとれいわ山本党首は蓮舫と同様のカテゴリー(正論を言って愚者を追い込む=頑張っている愚者との自覚がある層に敵視されてしまうため、本来支持者に回るべきである層の支持を得られない)に見えてしまう。れいわは田中康夫のポジションに来る人を据えるか、山本氏がもっとマイルドヤンキー色を出さないと政界カルト化してしまうリスクがあると思います。

私:キーワードは「突撃」です。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/16918293/

T:私は今のところ、N国党をナチスと関連付ける見方には反対です。逆効果というか、そのような見方がちまたに出ると、かえって彼らはコスプレ的にそちらの方向に自覚的に進みそうな気がします。
ではまた。

私:立花氏の行動一貫していると思いませんか?

T:麻生太郎氏に倣っているだけなんじゃないですか? つまり二次模倣。https://www.news-postseven.com/archives/20150813_341622.html

私:歴史つまり言語の成立以降はすべて「二次模倣」なので私の見解と一致です。

T:あと、れいわは、現場の公務員を増やせと言っている時点でそれこそ国家社会主義と親和性があることに気づくべき。アイヒマンがどういう人物だったか学ぶべきです。 https://www.youtube.com/watch?v=jZAzXEGVRHk
地獄への道は善意で敷き詰められている。

私:立花氏も広い意味での善意の動機です。無意識ですが。彼の背後がいるとすればその無意識を計算し戦略化している。
この国における無意識優位の政治の本格的到来という点ではれいわ新選組とN国党は同じカテゴリーです。

T:それはわかるんですが、そこは所与の条件として分析の対象から外して考えています。そこにフォーカスを当てても得るものがないので。
むしろ同じカテゴリーになるというその軸の取り方を避けることによって見えてくるものが見たいので。

私:いやむしろTさんが公務員増加に関してアイヒマンナチ政策とれいわ新選組の連続性を言い出したのに合わせたのですよ。
同じカテゴリーになるというのはあくまで所与条件。
両者のベクトルは敵対関係です。

T:N国は独裁を指向していない(立花氏自らがNHKスクランブル化は真の目的ではないと語っている)ところにナチスとの違いと、独自の危険性があると私は思っています。なので、私はやっぱり今のところはN国党ナチス類似説には組みできません。http://go2senkyo.com/articles/2019/07/29/43258.html

私:ですから彼の意識レベルの発言はもはや判断の第一条件ではないのですよ。
彼を支持する層の無意識が彼とN国党をすでに動かしています。
まさにその点で彼が意識レベルで直接民主制を言葉にしかつ突撃隊的な行動を繰り返しているのが致命的に危険です。
ナチは固有名としての効果であってプロセスを支援するレベルが問題です。支持する層の無意識と資金提供者のレベルの両面で。
このテーマはいったんここで打ち切ります。

T:もちろんそれをぜーんぶ踏まえた上であえて言っています。永澤さんもそう、私もそう、ということは、視点の先つまり何を恐怖(懸念とかでもいいですけど)しているかが、ちょっと違うんでしょうね。それも同じ可能性がありますが、お互い表現で譲れない差異がある。
たぶんその差異は、お互いの専門分野に起因しているのでしょう。言説に責任を持とうとすればそうなります。なので打ち切り同意です。
本当は、そこを乗り越えることができると意味があるんだと思うんですけどやめておきましょう。

私:打ち切りは「いったん」ということでいずれ続きがあるのは確実です。しかもかなり長期にわたって。
何を懸念しているかの事態はまだここではいえませんがそれに引き続いてカタストロフ的な状況になり得ます。

T:そこは同じです。やっぱり表現へのこだわりの差のみなのかもしれないです。
デジタル化で良くも悪くもこうした(記事参照)知恵が発揮できなくなる時代に我々はいるので、中国のようなデジタル専制政治ではない「先進国らしい」民主主義の破壊モデルができてしまう懸念です。それを私は独裁にはなぞらえたくないだけです。https://bit.ly/2ZYWsSx

私:私はN国党をナチになぞらえているわけではないです。またナチ型独裁になるという懸念ではありません。やはり村中さんとの接点の方が大きいでしょうね。

T:山を東から上るか西から上るかの違いくらいの違いでしょうね。

私:そもそも現在すでにこの国は十分過ぎるほどに行政独裁ですしね。
N国党に関しての懸念はさらにまずいカタストロフです。

T:中国のウイグル弾圧のように、デジタルに専制が結びついた恐ろしさを懸念するあまり、先進国の大衆が自ら逆の地獄、デジタルベンサム的直接民主主義のプラットフォームを作ってしまい、パンとサーカスどころではない境地に人々の生活と精神とがトランスフォームしていくようなカタストロフ。
を私は懸念していますが、永澤さんの懸念するカタストロフと離れていますか?

私:まあそんなところです。しかし行政と多国籍資本のアマルガムがどう関わっていくかというより具体的なフェイズについての予測は困難です。

T:こういう状況下で、中田考氏がカリフ制を訴えているのに触発されて『古事記』やってます。
はじめた動機は中田考氏は全然関係ないけど、継続してやってるのには触発もモチベーションのひとつ。
イスラムは要因として大きな可能性(正負は不問として)がありますが、『古事記』はないでしょうけどね。
それでも今の日本には多少は効くはず。
かな?
要は、「個人」の定義の戦いに参列しないでいいの?という問いかけな訳です。キリスト教的な個人の定義が国家のデジタルプラットフォームにビルトインされてしまう前に。
バベルの塔はディストピアではなくユートピアだったと思うのです。
このくらいで。
こういう思考の人に巨額の予算がついちゃってますから。https://wired.jp/2019/06/17/ben-goertzel-atsushi-ishii-3/

私:前からこの人は注目しています。ベン・ゲーツェル。


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